お客様は神様?
今夜はひとつ辛口な意見で。
常日頃考えていることなのですが、やはりこの国の商文化というか、
何の業種に関わらず商品を提供する側と、受け取る側(いわゆるお客様)
の関係を一般的に捉えると、かなり歪んだ構造があると思いませんか。
いわゆる今夜のお題「お客様は神様です」というヤツです。
今夜はこの事について、ヨッシーが気付いた幾つかの事象について、これを
読んでいる方に問いかけてみたいと思います。
(1)この言葉の深層部分まできちんと考えた上で「その通りだ」と理解し
接客なり、販売活動をしている人がいったいどのくらい居るのか。
そして、
「神様」と崇められる客がこの言葉をどれだけ理解してサービスや商品の
提供を受けているのだろうか?
実は「神=客」が人である商品の提供者に対し絶対上位に属している
のだと感違いしている人がほとんどなのではないのでしょうか。
だから、商品を提供する側は必要以上にへりくだり(時として醜いほどに)
客にへつらう
そして客は価格に見合う以上のサービスを平然と要求する。
何しろ「お客様は神様」ですから
(2)「神」という存在はその程度(人間にただ傾がせ、ふんぞり返る)の低俗な
存在としてしか我々が認識していないから、この様な感違いが生じるのでは
ないのだろうか?
(3)この言葉を上記の様な認識程度で考えている者ほど、実は自分の扱う商品に対
しての自信、若しくは商品知識や接客能力に自信がない。
(4)この言葉を額面通りに受け取り、後は何も考えないからへんてこりんなサービスが
まかり通る。
例1:自動ドアがセンサーで感知し、物体が通過すると自動的にスピーカーから
「いらっしゃいませ」のしかも合成音声が流れる。ゴキブリでもネズミでも
センサーが感知すればお客様なのだ。
例2:何も買ってないのに店を出るとき、店員が誰彼構わず
「本日はお買い上げありがとうございました」と深々とお辞儀をする。
その仕草は、研修で背中の角度は何度で笑顔はこう作りなさい。とお仕着せ
された形式だけのお礼。
長くなるのでこの2例だけにしておきますが「いらっしゃいませ、ありがとう
ございます」の言葉を合成音でも形式だけでも繰り返しておけば客は満足する。
という安易な考え。しかも何時かそれが自然な風景と化し、客も当たり前と思っ
ている事。
いわゆる一流と賞賛されるお店やホテルなど(ヨッシーはあまり行った事がないが)
あの自信に満ち溢れた商品説明や接客態度はどうだろう。
「オレは神様だからもっとお前ら頭を垂れろ」
などという態度はこちらが恥ずかしくてとても言えないでしょう。
「お客様は神様です」この言葉自体に異論は唱えませんが、誤解を招きやすい
この言葉から脱却し、もっと商いを単純に考えてみても良いのではないのでしょうか?
経済の原則、需要と供給です。その商品やサービスが必要とされるから供給し、代価を
得る。そこに、供給側と需要側に上下関係はなくお互い様の立場である。
しかし、当然競争原理が働くから、供給側はより質の良いモノを作り適正価格で供給する。
商品ならばそれは製品の出来や性能であり、サービスならばその「質」を提供する側は第一に
考える。
では、我々サービス業のその質とは何か?
先ず、お客様に不快を感じさせないことではないでしょうか。
タクシーなら①安全運転②清潔な車内③的確な応対でしょうか。
①は当然に2種免許という資格取得者ならば実践可能。
②は心掛け次第で誰でも出来る。
問題は③
飛行機や電車と違いタクシーはワンマンで接客までも運転手が担う。
乗車するお客様の個性や事情は千差万別です。
目先の稼ぎだけを考えるなら、実は接客はいい加減でも回送ルートや立ち回り方で
売上は伸ばせます。
ヨッシーは職業ドライバーとして誇りを持ちたいから③のレベル向上をもう少し努力
してみます。
そしてドライバーの誰もが、もう少し真剣にその事を考えてくれれば、少なくとも
「運ちゃん」などと見下される回数も減少するのでは、と思います。
常日頃考えていることなのですが、やはりこの国の商文化というか、
何の業種に関わらず商品を提供する側と、受け取る側(いわゆるお客様)
の関係を一般的に捉えると、かなり歪んだ構造があると思いませんか。
いわゆる今夜のお題「お客様は神様です」というヤツです。
今夜はこの事について、ヨッシーが気付いた幾つかの事象について、これを
読んでいる方に問いかけてみたいと思います。
(1)この言葉の深層部分まできちんと考えた上で「その通りだ」と理解し
接客なり、販売活動をしている人がいったいどのくらい居るのか。
そして、
「神様」と崇められる客がこの言葉をどれだけ理解してサービスや商品の
提供を受けているのだろうか?
実は「神=客」が人である商品の提供者に対し絶対上位に属している
のだと感違いしている人がほとんどなのではないのでしょうか。
だから、商品を提供する側は必要以上にへりくだり(時として醜いほどに)
客にへつらう
そして客は価格に見合う以上のサービスを平然と要求する。
何しろ「お客様は神様」ですから
(2)「神」という存在はその程度(人間にただ傾がせ、ふんぞり返る)の低俗な
存在としてしか我々が認識していないから、この様な感違いが生じるのでは
ないのだろうか?
(3)この言葉を上記の様な認識程度で考えている者ほど、実は自分の扱う商品に対
しての自信、若しくは商品知識や接客能力に自信がない。
(4)この言葉を額面通りに受け取り、後は何も考えないからへんてこりんなサービスが
まかり通る。
例1:自動ドアがセンサーで感知し、物体が通過すると自動的にスピーカーから
「いらっしゃいませ」のしかも合成音声が流れる。ゴキブリでもネズミでも
センサーが感知すればお客様なのだ。
例2:何も買ってないのに店を出るとき、店員が誰彼構わず
「本日はお買い上げありがとうございました」と深々とお辞儀をする。
その仕草は、研修で背中の角度は何度で笑顔はこう作りなさい。とお仕着せ
された形式だけのお礼。
長くなるのでこの2例だけにしておきますが「いらっしゃいませ、ありがとう
ございます」の言葉を合成音でも形式だけでも繰り返しておけば客は満足する。
という安易な考え。しかも何時かそれが自然な風景と化し、客も当たり前と思っ
ている事。
いわゆる一流と賞賛されるお店やホテルなど(ヨッシーはあまり行った事がないが)
あの自信に満ち溢れた商品説明や接客態度はどうだろう。
「オレは神様だからもっとお前ら頭を垂れろ」
などという態度はこちらが恥ずかしくてとても言えないでしょう。
「お客様は神様です」この言葉自体に異論は唱えませんが、誤解を招きやすい
この言葉から脱却し、もっと商いを単純に考えてみても良いのではないのでしょうか?
経済の原則、需要と供給です。その商品やサービスが必要とされるから供給し、代価を
得る。そこに、供給側と需要側に上下関係はなくお互い様の立場である。
しかし、当然競争原理が働くから、供給側はより質の良いモノを作り適正価格で供給する。
商品ならばそれは製品の出来や性能であり、サービスならばその「質」を提供する側は第一に
考える。
では、我々サービス業のその質とは何か?
先ず、お客様に不快を感じさせないことではないでしょうか。
タクシーなら①安全運転②清潔な車内③的確な応対でしょうか。
①は当然に2種免許という資格取得者ならば実践可能。
②は心掛け次第で誰でも出来る。
問題は③
飛行機や電車と違いタクシーはワンマンで接客までも運転手が担う。
乗車するお客様の個性や事情は千差万別です。
目先の稼ぎだけを考えるなら、実は接客はいい加減でも回送ルートや立ち回り方で
売上は伸ばせます。
ヨッシーは職業ドライバーとして誇りを持ちたいから③のレベル向上をもう少し努力
してみます。
そしてドライバーの誰もが、もう少し真剣にその事を考えてくれれば、少なくとも
「運ちゃん」などと見下される回数も減少するのでは、と思います。
スポンサーサイト